「完璧」というこだわり
アスペや自閉症スペクトラムの特徴のひとつとして、
*こだわりが強い*というものがよく挙げられる。
私自身、「そんなことあるかなあ?」と思っていたが、友人や家族などに聞けば、100%の確率で「こだわりが強いと思う」と言われる。
この認識のズレについて今回は話したい。
まず、*こだわり*とはなんであるかをみてみよう。
Google先生によればこんな感じ。
つまり解説1に従えば私は、周りからしたら「どうでもいいようなこと」に固執しているようなのだ。それが人よりも多いと。(だから面倒くさがられるのかな…w)
このブログに置き換えて例え話をすると、
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「はじめまして」の記事の次に何を書くか
どの順で書くか
(=全体像の見通しが着かない)
カテゴリー分け
(=同上)
全体的に何を書くか
(=性的な事やプライベートの事)
匿名性についてどう向き合うか
(=どこまで赤裸々に書くか)
投稿するタイミングはどうするか
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などが私の気になる点(≒こだわり)である。
まあ殆ど似たようなものが多い。
ブログの開設やネットでの自己表現などに置いては過去に何度も挫折をしているので、現段階では「めんどくさいからそのこだわりについて話してしまおう」ということにした。
上記の例から解説をすると、全体的に、
「見通しがつかない事」
(決定していない事項≒自由度が高い事項)
に直面した際、思考がフリーズorパニックになる
らしい。
どうしようか、とゼロからスタートする時、ゴールが見えずに困ってしまうようである。
では、なぜ困るのか。
これこそが題名にある、「完璧」というこだわりが大きく関係しているだろう。
「完璧にする」ということは、そこに必ず理想や目標、正解というものが存在していて、それを見据えた上でそれを「再現する」ということだ。
こうしよう、と思ったことをその通りにすること。そこに100%を求めるから息苦しさを感じるのであろうと分析した。
そもそも、「こうしよう」というゴール(=目標)を自分の中で設定できた場合はまだいい。
自由度が高かったり、求められていることがわからなかったりする場合、手も足も出ない。
例えばこうだ。
よくある授業で、
「図工の時間で、自分が想像している世界を絵で表現して創り出そう」というもの。
これは私にとって楽しくもあり、苦痛の時間でもあった。このプロセスを提示したい。
⑴自分がまず世界を想像すること
⑵どのように表現するか
⑶表現する技術的な問題
⑷どこで完成とするか
ざっとこのような感じ。(更新する可能性あり)
私の場合は⑵から苦痛を感じ始め、⑶⑷ではお手上げ状態、いつも未完成提出組であった。
ちなみにこの例に沿った時、こだわりではなく、ADHD傾向から述べると「必要な材料や道具を忘れる」「集中できない」「期限を守れない」などがあげられる。
まさにダブルパンチ…
話を元に戻すが、この「完璧」ということに囚われると、結構厄介であることを痛感する。
正直今もどのようにしてこの記事を終わらせたら良いかわからない。(=ゴールの無いもの)
ただ、これは課題とかではないから、こだわりを我慢して、気楽に、勢いで投稿してみることとする。正直だれか助けてほしい(笑)