話すこと
私達は日々コミュニケーションをしている。
それが、音になっていようといなかろうと、声や、目や、体で、全身で私達が自分の意志を他者に伝えている。
言葉は意志の表明。
誰からも奪ってはならないし、奪われてはならない。
こんなにも当たり前で大切なことを、どうして忘れていたのだろう。
どうして、どうすることもできなかったのだろう。
日々の違和感に目を背け、耳を塞ぎ、自分の殻に閉じこもっていた。
贖罪のように私の言葉を捧げ、受け入れた。
果に、この言葉が、私の言葉こそが私を苦しめる元凶であるとさえ思った。
私は私の大きな一部を憎んでいたのだ。
今、自分自身の傷つきに気がついた今、私はどのようにして私を守れるのか、私はまだ知らない。
いつからだったのか、はっきりとはわからないうちに、私はとんでもない人生のこだわりを持ち始めていた。
それは誰かと思い通わすことを諦めないこと。それがどんな対象であれ、生きているものみな(哺乳類に限るが)全てと心通じ合わせられるのではないかという傲りすら抱いていた。
特に、犬や子供とは親和性が高く、それを生業にしていた私は、職場で思い詰めるほどだったと思う。こだわりが、私を蝕む頃には、もう遅かった。
一番身近にいた、夫(形式上そのように表記)ですら、互いのことを真に理解などできていなかったのに、いやむしろ、理解し合えない苦しみを埋めるように、がむしゃらに他者との繋がりを求めていたように思えてくる。
結果、体も心も壊して、何も考えないことを選んだ。脳みそというデバイスが、私という人格を守るためにしたことだと思いたい。
そこからは、もうずっと、グリム童話にでてきそうなくらい甘くて、靄のある、ゆっくりとした時間がずっと流れていた。
ほんの少しの違和感に目を背け続けることができれば、素敵な物語の中に存在できることを、それとなく知っていたのかもしれない。
人はそれを、洗脳と表現することもある。
真の幸福など人の数だけあるはずなのに、それを忘れてしまうくらいに、私は弱っていたのかもしれない。
与えられた幸福が、正しい道筋で得られたものではなかったとしても、それでも私はあの時間を否定しようとは思わない。
事実、幾度となく助けられてきたのだから。それはもう数えられないほどに。毎日、通常の脳みその人ならば耐えられないくらいの恩恵を、私は受けてきた。面の皮が厚いのか、興味がないのかなんなのか、私にはわからないけれど。私のために与えられた優しさですら、私は相手のエゴだと今でも思うし、そのように思って接せられたい。
幸か不幸か、完璧な人間がこの世に存在しないおかげで、私は彼から共感など得られなくても良いと思っていた。
そんなことよりも、目下の不安や恐怖を、紛らわせてくれるのならそれだけで十分に有り難かった。弱かったのだ。何も知らなかった。今でさえまだ未熟なのに、あのときの私に何ができたのだろうと、自己憐憫に陥るほどに。
孤独であることはとてつもなく恐ろしいように思えるが、おそらく、ある種の向き合い方がキーとなって、慣れや心地よさに昇華されていくだろうと、今では思える。
それが私の強さではなくて、私が今思うという事実しかここには残らない。
明日の私が、来週の私が、いつまでこの不安に対して冷静に対処できるか、何も保証するものはないから。
最後に、先日角川ミュージアムにて撮った、ゴッホの言葉を遺したい。