私、意外と困ってました。アスペルガー×ADHD体験日記

発達障害 当事者のメモ的ブログ。

脱衣

 

 

 

 

痩せた身体に手を這わせて、ため息をひとつ。

浴室の鏡の自分と目を合わせて、ため息をふたつ。

私くらいの年齢なら、老いを感じ初めて憂うのだろうが、わたしは違う。

憔悴していく自分を止められず、ただ自分を助けることが出来ず、挙げ句には殺そうとした。

「『正常な判断ができないから、休みたい』と言いなさい」と言った、母を思い出していた。

 

 

何も考えずにシャワーを浴びたり、音楽を聴いたり、アニメを流したり。そういうことは別に初めてではない。でも確かに何か違うものを感じていて、自分で自分をコントロールできない不安を抱えている。

 

「入院するなら手続きとか、あるだろうし」有休とらないとだから、予定があるなら教えてという母に、私は力なく「今のことしか考えられないよ」と伝えた。

正直母のことは好きじゃないのかもしれない。

 

 

母のことが好きか、嫌いかなんて話はもうどうでも良くて、ただ最近、夜中に過呼吸が止まらなくて、深夜だというのに構わず電話を掛けた話をしたい。寝ていただろうに、5コールもしないうちに母は電話に出てくれた。

 

 

 

正直母には会いたくない。迷惑もかけたくないし、頼りたくないし、時間を割いて欲しくない。

母は昔から忙しい人だった。

 

 

 

私は風呂から上がって、髪の毛をタオルに巻いて頭に乗せる。いつも通りの習慣。なんの疑問も持たなかったのに、今日は違った。

ふと幼い頃を思い出したのである。

 

まだ私が学校に入る前の記憶かもしれない。

脱衣所の鏡に映る母の髪は、真っ黒で、長かった。

母の髪の毛で遊んだ記憶はないけれど、長い髪の毛をバスタオルに巻くために、裸のまま立位で前屈をする母の姿が可笑しくて、好きだった。まだ短く柔らかい髪の毛の私には、真似できない仕草だったから。頭に巻くバスタオルが、大人の証みたいで、私は少し憧れていたのだと思う。

 

 

記憶を丁寧になぞりながら私はため息をつく。

哀愁を滲ませ、自己陶酔を隠せない自分の文章が、気持ち悪いのに、嫌いになれない。

 

 

 

ある日母が、髪の毛をバッサリとベリーショートにして、変なパンチパーマをかけて帰ってきた日があった。私は急な事に昔から弱かったのだろう、驚きのあまりに泣いていた。

当然、髪の毛をタオルに巻きつける母の滑稽な姿は、そこから暫く見れなくなった。

私が中学生の頃、母は当時を振り返って、「なんであんな変な髪型にしちゃったんだろうね」と笑って言っていた。

 

 

私はふと思い出したのだ。自分で髪の毛を切ってしまうくらい、おかしくなってしまった事を。発狂しそうなくらいの日々に、何かメスを入れるような刺激を求めたことを。

そして髪の毛を切る事が、人にとって意味ある事になりうる事を。

 

だから私は悲しくなった。母が、あの日何を決意して髪の毛を切ったのか、生まれて初めて気にしたから。

大人になって初めて、母という他人の心に想いを馳せて、何かを感じる自分を悲しく思ったから。

幼い私にとっての些細な日常の中に、母が感じる何かを、大人になった私が間接的に受け取った気がした。

 

 

 

母の日ですら、こんなに母の事を考えたことはない。

 

私は今日、誰に傷つけられるわけでもなく、ただ思い出に傷付いたのだ。