わかり合えない事の苦しみ
好きな人とわかり合えない。
わかって欲しいという気持ちばかりが先走る。
「もっと分かって。もっと知ってよ。もっと沢山質問して、私を理解してよ。」
彼は決まってこう言った。
「何を知って欲しいの?どうしたの?慌てなくていいんだよ」一一一
…そういうことではない。上手く言葉には出来ないけれど、何がどうこうという話ではないのだ。ただ、常に私を誤解されているという恐怖が、心を支配してきて、辛い。
わかり合えない事への悲しみよりも、理解されない苦しみと苛立ちが膨張していった。もはや相手を理解しようとする気持ちなど微塵も無く、私を理解してくれないのに、という憎しみだけが募っていった。そんなに私を大切にしてくれるくせに、どうして肝心なところは理解してくれないのだ。私はこんなにも求めているのに。
苛立ちはやがて相手への棘となり、暴言を吐いた。温厚で優しい彼は、常に傷だらけだったと思う。
誤解はされたまま。問題は放置されたままに。彼はいつも言う。
「いいんだよ、俺が悪いんだよね。ごめんね。」
…私は言葉を失って、彼の前ではいつも声を奪われた人魚姫のようだった。こんなにも話せるのに。私には伝える力があるはずなのに、どうして。私は話す力があると思っているのに、彼の前では上手く発揮されないもどかしさを、どうしたらいいのだろう。言語化するという私の唯一の武器でさえ、虚しさという感情の波に攫われていった。
わかり合えないということはどうしてこうも切ないのだろう。誤解されているのだというやんわりとした事実だけが目の前にあるのに、掴むことも出来ず、訂正することも出来ず、その誤解で人を傷つけているとしたら。どうしたらいいのだ。
傷つけたという事実は私の心に針を刺し、余計にもがいて更に傷つけた。私も、相手も、限界だったのではと思う。
何が誤解されているのかすら、わからないのであれば、取り付く島もない。もはや誤解はそこにあるのかという疑いさえでてくる。
しかし、確かにそこにはあるのだ。
言葉の端々から感じる、理解されていないという事実が。私の本当の気持ちを、私の好きな彼は、知らないのだという絶望が。私を襲うのである。
好きな人がいて、好きな人と仲良くなりたくて、そうしたら幸運な事に好きな人が私を好いてくれた。
「お互いが分かり合えなくても、そこに居てくれるだけでいいんだ、君が何も出来なくてもいいんだ、好きだからそれでいいんだ」と言ってくれた。どんなに有難かったか。どんなに救われただろうか。私はどんなに幸せ者なんだろう。
でも、わたしは理解し合いたかった。
貪欲なのだ。「共感」という2文字に飢えていた。理解されないという悲しみ。言葉が通じない、伝わらない、同じ言語であるはずなのに意味を違って使用しているように思う感覚。全てが寂しかった。
ああ、思い返してみればどんなに私は虚しかったのだろう。そうしていつしか、共感や理解を求めることを諦めたのだ。私を知って欲しい。あなたを知りたい。この2つが何かに阻害され、私の大切な言葉達が零れていく。これを障害と言っていいものだろうか……
私はパートナーになる相手に、
『お互いがどんな人間で、どんな事を思い、何を実現したいのか。どんな課題があってどんなふうに解決しようとして、何が協力できるのか。』
こういったことを語り合いたい。
互いの問題を見つけ、互いに協力し、課題を解決していきたい。そのやり取りに言葉が必要だと思っていた。
だがどうだろう、言葉が原因となって、わかり合えない事が露呈していくのだ。こんな恐怖はなかろうよ。もがく程に苦しい、まさに蟻地獄。
そうして私はその苦痛から、目を背けることにしたんだ。話してもわかり合えないのなら、むしろわかりあえないことに胸を痛めるくらいなら、諦めようと。建設的な話し合いを放棄し、二人の間に期待はしなかった。言語コミュニケーションの質の悪さを受け入れたのだ。
そうまでしても彼と一緒にいることを選んだ。
好きだったから。交際してから3年経った頃だと思う。
じわじわとコミュニケーションを諦め、自分のこだわりを手放すことで得たのは、平和と、安らぎだった。アニメやゲームをしながら、他愛のない話をする。時折くだらない冗談を言い合って、笑ったりもした。それは私でなくてもいいような気は今でもするけど、彼はそれを私とすることを望んでいた。幸せのひとつの形だったと思う。
話題さえ変えれば、伝わらない苦しさに涙ぐむことも、泣きながら暴言を吐き捨て相手を傷つけることも少なくなった。
そうして5年半が経ち、結婚という2文字が、徐々に現実になろうとしていた。
残念なことに伝わらなさは相変わらずで、相手の言うこともよく分からず、私はそんな2人の関係を奇妙に思っていた。ふわふわとした会話の中身は、スカスカだったと思う。
ある人は言った、「コミュニケーションが死んでいる」と。
彼はそんなこと思いもよらなかっただろうし、私も彼が何を考えているのかわからなかった。
ただ雰囲気で、目で、態度で、言葉以外の全てが私への慈愛に満ちていることはわかった。
それでも私は言葉が欲しかったんだ。
何をどう考えて生きているのかを、知りたかった。
好きとか愛してるとか、そんな言葉よりもずっと、彼の考えが言語化されることの方が尊かった。
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