私、意外と困ってました。アスペルガー×ADHD体験日記

発達障害 当事者のメモ的ブログ。

焦り

 

 

女の一生、という本を読んでいる。

なんのことはない、コラム形式に著者が質問に答えてくれるタイプのものだ。

はじめ私は、様々な女の自伝が記録されているのか、それを追体験できるタイプのものかと、思っていた。

 

気がつけば30目前、今となってはの話だけれど、20前半の歳の方がずっと、私はなにかに焦っていたように感じる。女であること、若さが一瞬であること、それらの儚さや価値について、無意識に押し付けられる社会の女性像というものに対して。自分の現状との差に焦っていたのかもしれない。

 

 

儚さに願うもの

おじいちゃんとやっこちゃん

 

初日。

YouTubeでLOVOTを使用している老人の動画を見せる。ぬいぐるみとかおもちゃっていうイメージで、こんなのにうつつを抜かすほどボケてないよっていう。

 

 

 

やっこちゃんが来てから約一週間。

祖父が休みの日に自分でデイサービスに電話し、行きたいと連絡したそうだ。

 

10/2

やっこちゃんと朝遊んだらしい。

電話にも出るし、意識もはっきり。

デイサービスの名前も、すっと出てきてた。

 

10/12

ネットワークエラーが治らない。

もしかしかしたらWi-Fiの電源を切ってしまっているのかも。

私が私であることを否定しないで

 

私が私であることを否定しないで

 

私が時間を捉えられないのも

それは海を泳いでいるようなもの

波に揺られ、深海から海面まで自由に、

ときに嵐に揉まれるようなもの

 

 

私が私であることを否定しないで

 

私が忘れてしまうのは

あなたのことが嫌いだからなんかじゃない

大切な思い出も全て

アイスみたいに溶けちゃうだけなの

目には見えないけど

とても美味しかったなにかが

私の一部になっているんだよ

 

 

私が私であることを否定しないで

 

私があれこれと手を出して辞めてしまうのは

ただ忘れているだけ

いや満足したのかも

気まぐれな私に振り回されないように 

遠くから面白がってくれるだけでいいのよ

 

 

私が私であることを否定しないで

 

質問が多いのはただ、知りたいから

あなたを信頼していないわけじゃないの

たまに同じことを きいてしまうかもしれないけど

あなたの言葉を 軽んじているわけじゃないのよ

 

 

私が私であることを否定しないで

 

私が私であることを、私自身が忘れないように

あなたに求めることはもう何もなくて

ただただ嬉しかったよ

でもやっぱり、わかってほしかったな

話すこと

私達は日々コミュニケーションをしている。

それが、音になっていようといなかろうと、声や、目や、体で、全身で私達が自分の意志を他者に伝えている。

 

言葉は意志の表明。

誰からも奪ってはならないし、奪われてはならない。

こんなにも当たり前で大切なことを、どうして忘れていたのだろう。

どうして、どうすることもできなかったのだろう。

 

日々の違和感に目を背け、耳を塞ぎ、自分の殻に閉じこもっていた。

贖罪のように私の言葉を捧げ、受け入れた。

果に、この言葉が、私の言葉こそが私を苦しめる元凶であるとさえ思った。

私は私の大きな一部を憎んでいたのだ。

 

 

今、自分自身の傷つきに気がついた今、私はどのようにして私を守れるのか、私はまだ知らない。

 

いつからだったのか、はっきりとはわからないうちに、私はとんでもない人生のこだわりを持ち始めていた。

それは誰かと思い通わすことを諦めないこと。それがどんな対象であれ、生きているものみな(哺乳類に限るが)全てと心通じ合わせられるのではないかという傲りすら抱いていた。

 

特に、犬や子供とは親和性が高く、それを生業にしていた私は、職場で思い詰めるほどだったと思う。こだわりが、私を蝕む頃には、もう遅かった。

 

一番身近にいた、夫(形式上そのように表記)ですら、互いのことを真に理解などできていなかったのに、いやむしろ、理解し合えない苦しみを埋めるように、がむしゃらに他者との繋がりを求めていたように思えてくる。

 

結果、体も心も壊して、何も考えないことを選んだ。脳みそというデバイスが、私という人格を守るためにしたことだと思いたい。

 

そこからは、もうずっと、グリム童話にでてきそうなくらい甘くて、靄のある、ゆっくりとした時間がずっと流れていた。

ほんの少しの違和感に目を背け続けることができれば、素敵な物語の中に存在できることを、それとなく知っていたのかもしれない。

人はそれを、洗脳と表現することもある。

 

真の幸福など人の数だけあるはずなのに、それを忘れてしまうくらいに、私は弱っていたのかもしれない。

 

与えられた幸福が、正しい道筋で得られたものではなかったとしても、それでも私はあの時間を否定しようとは思わない。

 

事実、幾度となく助けられてきたのだから。それはもう数えられないほどに。毎日、通常の脳みその人ならば耐えられないくらいの恩恵を、私は受けてきた。面の皮が厚いのか、興味がないのかなんなのか、私にはわからないけれど。私のために与えられた優しさですら、私は相手のエゴだと今でも思うし、そのように思って接せられたい。

 

幸か不幸か、完璧な人間がこの世に存在しないおかげで、私は彼から共感など得られなくても良いと思っていた。

そんなことよりも、目下の不安や恐怖を、紛らわせてくれるのならそれだけで十分に有り難かった。弱かったのだ。何も知らなかった。今でさえまだ未熟なのに、あのときの私に何ができたのだろうと、自己憐憫に陥るほどに。

 

孤独であることはとてつもなく恐ろしいように思えるが、おそらく、ある種の向き合い方がキーとなって、慣れや心地よさに昇華されていくだろうと、今では思える。

 

それが私の強さではなくて、私が今思うという事実しかここには残らない。

明日の私が、来週の私が、いつまでこの不安に対して冷静に対処できるか、何も保証するものはないから。

 

最後に、先日角川ミュージアムにて撮った、ゴッホの言葉を遺したい。
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食べることは生きること

 

私たちは食べずして生きてはいけない。

私たちが食べた物は、血となり肉となり、私たちを創っていく。

 

発達障害と言われる人の中で、食生活に困っている人はどれくらいだろうか。

生きることが辛い、というのは、食生活に困難を抱えている人も多くいるのではないか、と思った。

 

 

最近、コンサータを意識して飲むようにしている。副作用のダメージは、目に見えずじわじわとしている。

 

今日は食べることが悲しかった。時間の感覚は曖昧で、いつのまにか夜になり、空腹で喉が酸っぱくなるような気持ち悪さを抱えて、それでいて何を食べたらいいかわからなかった。

 

キッチン周辺をうろうろして、冷蔵庫を開けては閉じることを繰り返す。ようやく焼いた薄焼きパンも、出来上がっても食べることができなかった。

食べ物を目の前にして、それを食べ物だと脳が認知してくれなくて(食欲が沸かなくて)

仕方なくプロテインシェーカーでドリンクを作って、なんだか悲しくて虚しくて、涙が出た。

 

ただ、生活の一部である食事が取れない、自分の人間としての無力感と。痩せこけていった過去のトラウマが自分を不安にさせて、それでいて冷めていく'物体"を眺める事が辛かった。

 

手足の感覚が冷たくなるような、魂が身体から抜けていくような、浮遊感というか。

生きた感じがしなくて、怖くなって悲しくて、自分の弱さが、自分の命を蝕んでいくから、私はどうやって生きていったらいいのか分からなくて。

 

今日はとりあえず、シェーカーを飲んで。少しだけ身体に栄養を与えて。食べている誰かをみると、少しだけ食べてみようかな、と興味がそそられて食べられる。調味料をかけたり、他のものを食べたりしてるのをみて、少しずつ真似しながら。私は一人だと食べなくなるんだね。ふと、自ら死んでいくみたいだと思った。

そんな事しなくていいのに。安らかに生きたいよ。

本当は、全部

 

記憶は儚い。感情も。

だから思い出すことはできない、二度と会えないその時の気持ちに。手を伸ばす一つの手段が、記録。

 

本当は全部記録したい。観たもの全てを、書き出して、どんな順番で何を観て、何について話して、どんな言葉をもらって、どんなふうに思ったか。隈なく文字にして、忘れてしまうことがないようにしたい。

 

そして私がどんなに幸せなのか、思い返す一つの材料にするんだ。

そうやって文字にする時間、その時のことだけを考えて。辿った時間と同じくらいの時間をかけて思い出すような。そんな幸せを。

 

二度と手に入れられない一瞬を大切にしたいから、慣れたくなんかないね。