何にもなれなかった私達へ
まだ人生は終わっていなくて、いつまでも未完成のままだけど、自分に満足して、安心した日々を送れる時がいつかは来るのだろうか。
身体を突き動かす衝動性をコントロールできず、持て余したエネルギーを何処かで放出しては、泥のように眠り、それを繰り返す。
自分を制御できない苛立ちや不安に、飲み込まれてふと冷静に(なった気がしているだけなんだろうが)、生きる意味の無さや、無力感に襲われて、死にそうになる。
それでもとりあえず生きてこれたのは、酒や薬(合法の)と言ったその場しのぎの逃げ道や、周りの人、大きく言えば運そのもので、私の力では無いと思う。
自分の努力を否定するわけではないけど、今にも死にそうな、よれよれだった私が「生きるために、頑張ろう!」などと思えるわけがない。
あっ生きる意味ねえなぁ、と思う瞬間がとても嫌で、そういうのをなるべく忘れるように、日々をこねくり回して生きているのに、どうしようもなく、逃げられない時、どうしたらいいんだろうね。
脱衣
痩せた身体に手を這わせて、ため息をひとつ。
浴室の鏡の自分と目を合わせて、ため息をふたつ。
私くらいの年齢なら、老いを感じ初めて憂うのだろうが、わたしは違う。
憔悴していく自分を止められず、ただ自分を助けることが出来ず、挙げ句には殺そうとした。
「『正常な判断ができないから、休みたい』と言いなさい」と言った、母を思い出していた。
何も考えずにシャワーを浴びたり、音楽を聴いたり、アニメを流したり。そういうことは別に初めてではない。でも確かに何か違うものを感じていて、自分で自分をコントロールできない不安を抱えている。
「入院するなら手続きとか、あるだろうし」有休とらないとだから、予定があるなら教えてという母に、私は力なく「今のことしか考えられないよ」と伝えた。
正直母のことは好きじゃないのかもしれない。
母のことが好きか、嫌いかなんて話はもうどうでも良くて、ただ最近、夜中に過呼吸が止まらなくて、深夜だというのに構わず電話を掛けた話をしたい。寝ていただろうに、5コールもしないうちに母は電話に出てくれた。
正直母には会いたくない。迷惑もかけたくないし、頼りたくないし、時間を割いて欲しくない。
母は昔から忙しい人だった。
私は風呂から上がって、髪の毛をタオルに巻いて頭に乗せる。いつも通りの習慣。なんの疑問も持たなかったのに、今日は違った。
ふと幼い頃を思い出したのである。
まだ私が学校に入る前の記憶かもしれない。
脱衣所の鏡に映る母の髪は、真っ黒で、長かった。
母の髪の毛で遊んだ記憶はないけれど、長い髪の毛をバスタオルに巻くために、裸のまま立位で前屈をする母の姿が可笑しくて、好きだった。まだ短く柔らかい髪の毛の私には、真似できない仕草だったから。頭に巻くバスタオルが、大人の証みたいで、私は少し憧れていたのだと思う。
記憶を丁寧になぞりながら私はため息をつく。
哀愁を滲ませ、自己陶酔を隠せない自分の文章が、気持ち悪いのに、嫌いになれない。
ある日母が、髪の毛をバッサリとベリーショートにして、変なパンチパーマをかけて帰ってきた日があった。私は急な事に昔から弱かったのだろう、驚きのあまりに泣いていた。
当然、髪の毛をタオルに巻きつける母の滑稽な姿は、そこから暫く見れなくなった。
私が中学生の頃、母は当時を振り返って、「なんであんな変な髪型にしちゃったんだろうね」と笑って言っていた。
私はふと思い出したのだ。自分で髪の毛を切ってしまうくらい、おかしくなってしまった事を。発狂しそうなくらいの日々に、何かメスを入れるような刺激を求めたことを。
そして髪の毛を切る事が、人にとって意味ある事になりうる事を。
だから私は悲しくなった。母が、あの日何を決意して髪の毛を切ったのか、生まれて初めて気にしたから。
大人になって初めて、母という他人の心に想いを馳せて、何かを感じる自分を悲しく思ったから。
幼い私にとっての些細な日常の中に、母が感じる何かを、大人になった私が間接的に受け取った気がした。
母の日ですら、こんなに母の事を考えたことはない。
私は今日、誰に傷つけられるわけでもなく、ただ思い出に傷付いたのだ。
■
いい街だった。
閑静でありながら人は暖かく、何一つ不自由などなかったはずだった。
車も家もお金も、食事も衣服も支援も、すべて手にしていたはずなのに、何一つ楽しくなかった。日に日に瞳が霞んでいくようで、私は私が怖かった。
日差しの強いお昼過ぎ、バスに揺られながら何を考えたのだろうか。私は何を考えているのだろうか。
ほんとは何もしたくないし、何も考えられない。今朝は目覚ましを止めること以外はできなくて、静かに時間が過ぎていくのを感じた。
安らぎも、楽しみも見当たらなくて、自分が良くない状況にあることだけ理解していた。
私が回復したら、いつかきっと回復したら、もう二度とこんな気持ちになりたくないと思うはずだ。
バスの窓から、工事現場のショベルカーが動くのを見た。マスクもしないで、土埃の中働く人間をみた。私の家にはマスクがあって、お店には無くて、それが何かの縮図のような、暗示みたいだと思うと気持ちが悪かった。
私の言葉は浮かんではすぐに消えてしまうから、繰り返し、繰り返し忘れないように書き留めなければいけない。
振り返って、この地獄の問題を突き止めて、繰り返さぬように対策を立てるためには、記録が必要なのだ。
無名
出勤30分前に、髪の毛を切った。
「綺麗に伸ばしてますね」
って褒めてもらった、へそ上ぐらいのロングヘア。肩下セミロングくらい切ったから、ちょうど15センチくらいかな。巻いて、結べば誤魔化せるだろうと思ったけどそんな事もなく、洗面台に落ちた髪の毛を片付けながら思わず惚けた。
薬を飲んでも、ヘルパーが入っても、誰にも私を止められやしないと思った。私も、例から漏れる事はなく。
髪の毛を切りながら色んなことを思った。私の頭の中に流れ続ける文章を、どんなふうに書き上げようか、誰に話そうかと少しだけ胸が弾んだ。けれども、髪の毛を切りながら物を書き上げられるはずもなく、それらは浮かんでは消えていった。今はただその残骸を書き集めているだけ。
最近読んでいる本に、坂口恭平の「独立国家のつくりかた」というものがある。
お金がなくても生きていけるよね、といった内容の本(たぶん)
だから私も、美容院に行って縮毛矯正とカットとトリートメントをセットにした、1万2万もする手入れをしなくたって生きていけるじゃん、と思ったのだ。
そもそも、髪の毛をバッサリ切っちゃいたいって去年からずっと思ってた。
痛んだ毛先にハサミを入れるのはこれが初めてではない。でも本格的に髪の毛を切ったのは初めてだった。100均で買った緑色の鋏が、お前なんかこれで十分だろと嘲笑うように髪をぶつ切りにしていった。まるで自傷行為だと思った。
わかり合えない事の苦しみ
好きな人とわかり合えない。
わかって欲しいという気持ちばかりが先走る。
「もっと分かって。もっと知ってよ。もっと沢山質問して、私を理解してよ。」
彼は決まってこう言った。
「何を知って欲しいの?どうしたの?慌てなくていいんだよ」一一一
…そういうことではない。上手く言葉には出来ないけれど、何がどうこうという話ではないのだ。ただ、常に私を誤解されているという恐怖が、心を支配してきて、辛い。
わかり合えない事への悲しみよりも、理解されない苦しみと苛立ちが膨張していった。もはや相手を理解しようとする気持ちなど微塵も無く、私を理解してくれないのに、という憎しみだけが募っていった。そんなに私を大切にしてくれるくせに、どうして肝心なところは理解してくれないのだ。私はこんなにも求めているのに。
苛立ちはやがて相手への棘となり、暴言を吐いた。温厚で優しい彼は、常に傷だらけだったと思う。
誤解はされたまま。問題は放置されたままに。彼はいつも言う。
「いいんだよ、俺が悪いんだよね。ごめんね。」
…私は言葉を失って、彼の前ではいつも声を奪われた人魚姫のようだった。こんなにも話せるのに。私には伝える力があるはずなのに、どうして。私は話す力があると思っているのに、彼の前では上手く発揮されないもどかしさを、どうしたらいいのだろう。言語化するという私の唯一の武器でさえ、虚しさという感情の波に攫われていった。
わかり合えないということはどうしてこうも切ないのだろう。誤解されているのだというやんわりとした事実だけが目の前にあるのに、掴むことも出来ず、訂正することも出来ず、その誤解で人を傷つけているとしたら。どうしたらいいのだ。
傷つけたという事実は私の心に針を刺し、余計にもがいて更に傷つけた。私も、相手も、限界だったのではと思う。
何が誤解されているのかすら、わからないのであれば、取り付く島もない。もはや誤解はそこにあるのかという疑いさえでてくる。
しかし、確かにそこにはあるのだ。
言葉の端々から感じる、理解されていないという事実が。私の本当の気持ちを、私の好きな彼は、知らないのだという絶望が。私を襲うのである。
好きな人がいて、好きな人と仲良くなりたくて、そうしたら幸運な事に好きな人が私を好いてくれた。
「お互いが分かり合えなくても、そこに居てくれるだけでいいんだ、君が何も出来なくてもいいんだ、好きだからそれでいいんだ」と言ってくれた。どんなに有難かったか。どんなに救われただろうか。私はどんなに幸せ者なんだろう。
でも、わたしは理解し合いたかった。
貪欲なのだ。「共感」という2文字に飢えていた。理解されないという悲しみ。言葉が通じない、伝わらない、同じ言語であるはずなのに意味を違って使用しているように思う感覚。全てが寂しかった。
ああ、思い返してみればどんなに私は虚しかったのだろう。そうしていつしか、共感や理解を求めることを諦めたのだ。私を知って欲しい。あなたを知りたい。この2つが何かに阻害され、私の大切な言葉達が零れていく。これを障害と言っていいものだろうか……
私はパートナーになる相手に、
『お互いがどんな人間で、どんな事を思い、何を実現したいのか。どんな課題があってどんなふうに解決しようとして、何が協力できるのか。』
こういったことを語り合いたい。
互いの問題を見つけ、互いに協力し、課題を解決していきたい。そのやり取りに言葉が必要だと思っていた。
だがどうだろう、言葉が原因となって、わかり合えない事が露呈していくのだ。こんな恐怖はなかろうよ。もがく程に苦しい、まさに蟻地獄。
そうして私はその苦痛から、目を背けることにしたんだ。話してもわかり合えないのなら、むしろわかりあえないことに胸を痛めるくらいなら、諦めようと。建設的な話し合いを放棄し、二人の間に期待はしなかった。言語コミュニケーションの質の悪さを受け入れたのだ。
そうまでしても彼と一緒にいることを選んだ。
好きだったから。交際してから3年経った頃だと思う。
じわじわとコミュニケーションを諦め、自分のこだわりを手放すことで得たのは、平和と、安らぎだった。アニメやゲームをしながら、他愛のない話をする。時折くだらない冗談を言い合って、笑ったりもした。それは私でなくてもいいような気は今でもするけど、彼はそれを私とすることを望んでいた。幸せのひとつの形だったと思う。
話題さえ変えれば、伝わらない苦しさに涙ぐむことも、泣きながら暴言を吐き捨て相手を傷つけることも少なくなった。
そうして5年半が経ち、結婚という2文字が、徐々に現実になろうとしていた。
残念なことに伝わらなさは相変わらずで、相手の言うこともよく分からず、私はそんな2人の関係を奇妙に思っていた。ふわふわとした会話の中身は、スカスカだったと思う。
ある人は言った、「コミュニケーションが死んでいる」と。
彼はそんなこと思いもよらなかっただろうし、私も彼が何を考えているのかわからなかった。
ただ雰囲気で、目で、態度で、言葉以外の全てが私への慈愛に満ちていることはわかった。
それでも私は言葉が欲しかったんだ。
何をどう考えて生きているのかを、知りたかった。
好きとか愛してるとか、そんな言葉よりもずっと、彼の考えが言語化されることの方が尊かった。
(次へ)
久しぶりの更新
ふと思い立って、2年ぶりの更新です。
色々あって、今も頑張って生きてます。
最近見たツイートで、こんなものがありました。
https://twitter.com/sssgantan/status/1085379257285689349?s=21
《誰かが「毎月これだけ生活費かかるから苦しい」みたいな支出一覧アップするたび、「もっと食費削れますよ!」みたいなツッコミ入れてくる人いるの意味わからんというか、人間そりゃ米と味噌だけ食ってても何とか生きていけるだろうけど、それはもう生活じゃなくて生存でしょ。楽しくない。》
これを読んで、ああ正しく。私は生存だなと思ってしまった。べつに困窮しているとかではないと思う。だけど、生きるために必要な工程が多すぎる。正確には、*社会的に*生きていくために必要な工程。
ADHD×ASDを誇りに思ってるとかではないけど、そこに×女性♀が加わるだけでなんだかややこしく感じてしまう。
化粧とか、料理とか、掃除とかね。
なんだか、許されていないという感じがしている。
ただ私が生き延びるために、休息と栄養補給を繰り返している。もはや食事は餌だ。私はそんな気持ちになる時がある。誰かと一緒に食事をすること、美味しい手料理を頂くこと、そのひとつひとつが、有難くて、嬉しくて、同時に情けなくなる。悔しくなる。自分は犬だと。
ここ数ヶ月に色々とあって、バタバタしている余裕なんか本当はないのに、プライベートで気持ちを持っていかれている。いいことも悪いこともあった。まだ決着がついていないこともあるし、正直先が見えないことばかりだ。
ただ、いい意味で変わったことと言えば、障害者手帳の申請を出来たことと、服薬を再開していること。よくよく考えれば、このブログのタイトルどおり、私は意外と困っていたのだ。
通院の予約すら、ままならなかった。
私はこの先どうなってしまうのだろう。
漠然とした不安。簡単にまとめられてしまうのは癪だが、そういうものだ。私はこれから、自分自身で決断していかなければいけないのに。
いつまでも当事者意識がないんだなあ。
今日は暗めでした。
でもそんな日もあるよね。
これが私。
ちゃんちゃん。
「社会的な生活を送る」困難とは
「それは人間としてダメ」
「一緒にいたら人間的にダメになりそう」
と言われたことがある。それも好きな人に。
どんな気持ちかって、
「ああこの人は、ちゃんと自分をセーブできる偉い人だ。すごいなあ。」ってかんじ。
同時に「どこがダメなの?」「人間としてってどんな定義なの?」と思う。
そんな細かい質問をすると面倒くさがられるということは理解したけど。
私にとっては、"日々、生きる"ことがしんどい、毎日がサバイバル!って感じなのに、社会的な生活を人間としてしろって、そら結構きついものなんです。
求められている社会性は女子と男子で違うと思うけど、特に女性アスペルガーは少ないみたい。カサンドラ症候群とか調べても、奥さんの方ばかりでてくるでしょ。
なので私が大学生活までで理解した、女性としての社会性が何たるやを、アスペルガー×ADHD×女性の視点で話したいと思う。
1番大変なのってやっぱり、身だしなみ。
お化粧、ファッション、あと人によっては流行りものとかね。
女の子って部屋が綺麗なイメージあるでしょ。それも。
料理ができるイメージとかさ。(壊滅的に出来ない)
清潔感の維持。これはしんどいぞ。
お風呂にはいる、洗濯物はする、ネイルに髪の毛のオシャレ、ヘアアレンジとか。
女の子は自然と女の子になんてなってくれないんだ。
私の体が女性らしくなっていく度に感じた。体は女性になってくれても、見た目や心はだれも証明してくれないんだって。
髪の毛なんて頻繁に美容院に行かないとだし、ネイルは剥げたら新しいのにしないと逆に不潔。
ハンカチはアイロンしないとね(アイロンなんて5回くらいしかやったことないけど)
我々は何を求められているのか………
今回はまだ謎。
取り留めもない話。
面倒だなって思う話。
今度は幼少期の違和感について語っていけたらいいな。