見えない障害、見えてる障害
バスの中で、聴覚過敏者向けに作られたイヤーマフをつけてる青年をみた。様子を見るに、自閉傾向もありそう。
電車の中で、とても分厚いメガネをかけた子供をみた。視覚障害が重いのだろうか。
そんなことを思う。
それは見える障害だからだろうか。それとも見えてしまうだけだろうか。
本質的には、我々は障害を"みる"ことはできない。それぞれの条件に合った名前を付けていくのだ。それが障害なだけ。
肢体不自由などの、車椅子や、杖、義手義足などは、ぱっとみてわかるものだ。健常者は普段使用しない。それ故に好奇の目に晒されやすくもあるだろう。
視覚性のない障害、及び病気等についてはどうだろうか。わかりにくく、そっとしてはもらえるだろうが、反対に言えば手を差し伸べてもらう機会は減るのではなかろうか。
ここで、どちらが良いとか、悪いとかを話すつもりはない。ただ、自分のもつ"困難さ"が目には見えないものであることを、改めて自覚したのである。